幸福の欠片.8
SIDE:渡邊オサム  2008.由梨ゆかり








「何も…聞かへんねんな…」


長い、長い沈黙。
お互いどう会話の糸口を切り出していいかわからず、先にそれを破ったのは俺の方だった。
まさか、あんな現場を誰かに見られて。
それを助けてくれたのが転入生やったなんて。

「四天宝寺っちゅう学校はどんななっとんねんって思ったやろ」

生徒数人に犯される教師。
しかも男が男に。
学校の第一印象最悪や。
ああ、教師としての俺の第一印象も、か。

まだ目の前にいる恩人が俺の想像した通りのオトナやったら。
世の中にはいろんな事情がある、みたいな感じである程度理解してくれたかもしれへん。
いや、理解は無理にしろ、現場に居た生徒達の将来の事とかも考えたりとかしてやな、そう簡単に誰かに言いふらしたりはしないだろう。

しかしこの目の前にいる少年のお年頃は。
思春期真っ只中。
つまりそういう事柄に一番興味津々のお年頃。
同級生が先生を襲っとったなんて、そんなおもろい話、黙っとく方が無理やろ。

ああ、もうどうしたらええのか正直わからん。
俺は泣きたいのを我慢して薄っぺらな乾いた笑いを浮かべるしか出来なかった。

俺の傍まで歩み寄ってきた生徒は一言も、何も言わずにただ黙って俺の方を見つめてきて。
その真っ直ぐな目を直視できない俺は俯いたまま。
視界に入ったさっき思わず落とした煙草を踏みつけ火を消し、新たなそれを胸ポケットから取り出す。

さっきまで吸っとったのと同じ筈やのに、新しく火をつけたそれは何の味もせんかった。
美味しくも、不味くも無い煙を吸って吐き。
俺が黙ると訪れるのは再びの沈黙。


まるで針のムシロの中にいる気分にさえなってくるこの空気から、出来る事なら消えて無くなりたい。
どうする事も出来ずそんな事を考えていたら今度沈黙を破ったのは相手の方だった。



「先生、そんな無理して笑わんでもよか」


言われたその一言に驚き、俺は思わず俯いていた顔を上げた。
まっすぐで、純粋なその子供のそれと視線が交ざり合う。

「……聞きたい事はあるけど、そげん辛げな顔した先生の顔見とうないけん今は聞かん」

ぽんぽん、と。
帽子の上から頭を撫でられた。
これではどっちが教師で、どっちが生徒なのかわかったものじゃない。

「昨日の事は…先生が忘れろ言うなら忘れるし、誰にも言わんから…」


俺の事、避けんとって。


そう、一言だけ。
年齢は子供な筈なのに、身体と精神面はずっと俺よりも大人の様にさえ思える目の前の生徒は、それでもやっぱり中学生らしい可愛い一言をぽつりと言った。


変な光景見せて、それが気まずくて避けて、気を使わせて。
大人の俺の方がこいつよりよっぽどガキや。
子供の暖かい言葉が胸に染みて、声を出したら涙も零れてしまいそうやったから俺は黙ったまま頷いた。


「…よかった………」

もう避けない。
俺の返事に子供は心底ほっとした様な声をあげる。

何て純粋で、ええ子なんやろう。

こんなダメな教師を心配してくれて。

こんな汚い大人を気遣ってくれて。

こんな汚れた俺に温かい言葉をくれて。


「おおきに……」

自然と感謝の言葉が漏れる。
同時に目の奥が熱くなり、溢れてくるそれを抑えようと瞳をきつく閉じた。



ふわり。
ふいに自分の身体のまわりが温かいモノに包まれる感触。
何事かと閉じたばかりの瞳を開けば俺は背の高い生徒の胸の中にすっぽりと包み込まれていて。
昨日差し出されて触れることの出来なかったその手の温もりは想像したよりもずっと大きくて。
包み込まれた子供の体温はずっと、ずっと温かく優しくて。
我慢する筈だった涙は自然と零れ落ちて温かいその胸元に小さな染みを作った。

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