幸福の欠片.6
SIDE:千歳千里  2008.由梨ゆかり








顧問を呼んでくる、と担任がここを出てから美術室にひとり。
数分が経過したものの誰かが来る気配も無く、窓の外の景色にも飽きた俺は椅子から立ち上がって、教室の部屋に並べて飾られた、ここの生徒の作品であろう水彩画を見ていた。
色とりどりの色彩で描かれた作品の数々。
元々美術は得意科目でもあり、人の描いた作品も見るのは好きだったのでいい時間つぶしにはなった。
水彩画のひとつひとつにはその作品を描いた生徒の名前が貼られていたが、そこにも「おさむ」という名前は見当たらなかった。
その時。



「オサムちゃん!!!」


すぐそこの廊下から聞こえてきた人を呼ぶ声。
呼ばれたその名に俺は瞬時に反応して廊下側のドアの方に振り返るが、ここからでは人の姿は確認できなかった。


慌てて駆け寄り、扉を開くとそこには1人の学生の姿。
整った顔立ちで、色素の薄い銀の髪が印象的な少年が立っていた。
勢いよく飛び出してきた俺に驚いた様子で、こちらを見上げる。

「なんや、慌てて出てきて…自分、転校生やろ?」
「…………」

こくり、と頷く。
この少年が昨日のあの子なのだろうか。
少し違うような気もするし、そうだったような気もする。

「俺は白石、一応部長やってん、よろしくな、テニス部入部したいんやろ?これに名前記入してや」
「………」

白石と名乗ったその少年から用紙とペンを受け取り、共に近くの席に腰掛ける。
入部届けと書かれたその用紙に、学年とクラス、名前をお世辞にも綺麗とはいえない字で記入していく。

「なぁ…千歳って、ひょっとして九州2強って言われとるあの千歳か?」

白石が俺の書いた名前を見て身を乗り出してきた。
言われて一瞬そうだ、と名乗るのをためらったが、自分がそう呼ばれている事は事実なので肯定した。

「すごいやん!じゃあ自分めっさ強いんやないか!」
「別にそんな大袈裟なもんじゃなかとね…」

むこうに居たときは勝手に周りがそう言っているだけで、自分にとってはどうでもいい事だったのだが、勝手に付けられた異名がこっちにまで広がっているのか。
まぁ、悪い噂では無いので言われて悪い気はしなかった。

そして、そんな事より気になるのは自分の前で楽しそうに話す彼の姿。
それは何事も無かったかの様に振舞っているのか、自分に気付いていないだけなのか、それとも別人なのか…

「…下の名前、何て言うと?」

おそるおそる訊ねる。
さっき廊下で呼ばれていた名前の持ち主が目の前のこの少年であるなら…昨日の少年だ。

「俺か?蔵ノ介や、白石蔵ノ介」



人違い。


明らかに落胆した顔を思わずしてしまい、何や?と不思議そうにされたが何でもないと流した。

「でもホンマ、九州2強と言われとる千歳がウチに来てくれて、これでますます今年の優勝は固くなりそうや!」

部活の決まりごとや、現在のレギュラー部員の事を嬉しそうに話す白石の話に耳を傾け、相槌を打つ。
話を聞いているだけでも、何やらここのテニス部員は個性派揃いで、仲の良いチームメイトなのだろう事は読み取れた。

「それにしてもホンマ、オサムちゃんも来ればよかったのに」
「オサムちゃん……?」

いきなり出されたその人物の名に俺の鼓動が高鳴る。
間違いなく、言ったのだ。
この学校で誰よりも会いたい、その人物の名を。

「ああ、ウチの顧問やねん」
「顧問……」

昨日会ったあの人は。
少年…ではなく大人で。
生徒ではなく教師、だったのだ。

予想していなかった展開に呆然となる。
思考が停止した俺に気付いていない様子で白石は更に話を続けた。

「顧問ちゅうてもまぁ、名前だけみたいなもんやな、今も千歳の手続きしにそこまで来たか思えばなんや、急に体調悪なったとか言うて仕事から逃げよって…もうちょっと顧問らしい事せえっちゅうねん」

ブツブツと顧問への文句を言う白石の言葉が俺の胸にひっかかった。
違う。
仕事から逃げたんじゃない。
きっと、俺の姿を見て。


「俺から逃げたばい……」



居ても立ってもいられず、俺は書き終えた入部届けをぐしゃりと握り締め勢いよく立ち上がる。
その拍子に腰掛けていた質素な造りの椅子がガタン、と派手な音をたててひっくり返った。

「千歳…?!」

驚いた白石にも倒した椅子にも構う余裕は無く、俺は美術室から飛び出した。

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