幸福の欠片.14
SIDE:渡邊オサム  2008.由梨ゆかり








「……で、新入生にはこのメニューで基礎体力をつけて……」
「…うん」
「……やから……をして………」
「…うん」
「……オサムちゃんさっきから生返事ばっかりやんか!ちゃんと聞いとるんか?」
「……うん」
「……オサムちゃん?」
「…うん」

新しい部員…つまり新1年生の基礎体力を作るためのメニューを考えてきたという白石の話を聞きながら相槌をうっていた俺の視界はぼんやりと映っていたテニスコートで軽いラリーをしている部員の姿から白石のドアップへと変わった。

「わ!何や白石…」

突然の視界の変化に驚き、叫ぶと近づいた白石の顔の眉間には皺が寄っている。

「…何やはこっちの台詞や…どしたんや?ボーっとして…」
「や、何でもない、ごめん、で?何やっけ?」

俺の台詞に白石は怒るという事を通り越してガックリと項垂れる。

「もうええわ…また後にしよか」
「や、ごめんごめん、ほら、あれや、今日暑いからちょっとボーっとしてもうてん」
「暑いって…別に今日は暑くはないやろ……っていうか、オサムちゃん何か具合悪いんか?顔色悪くないか…?」
「あーちょっと寝不足なだけや、何ともないわ」
「…それならええんやけど」

実際、最近の所あまり眠れない日々が続いていた。
夢見が悪く、うなされては起きてその後しばらく眠れない。
そうしている内に夜が明けてしまう日々。

「ほら、白石もコート入りや、部長さんがお手本見せたらんとな」

人の体調を監視するかの様な白石の視線に耐えれず、やんわりと追い払う。
白石はまだ何か言いたそうだったが、おとなしく引き下がってくれた。

しかし何やろう、今日のこの暑さは。
まだ春なのにまるで真夏の様な暑さは間違いなく異常気象やな。

ぐらり。

ふいに視界が揺れた。

「何……?」

視界が赤と青の斑模様に変わり頭の奥がドクドクと脈打つ。
急にキィィィン…と嫌な耳鳴りがしたかと思うとそのままブツリ、と何かが切れた様な音がしてそこで俺の記憶は途絶えた。









「あったかい………」

懐かしいこの温もり。

安心できるこの温もり。

大好きだったこの温もり。

「康久………」

そう呼んだ自分の声で目が覚めた。

また…だ。

またいつものアイツの夢。

もう見たくないのに。

「………?」

唇を噛み締め、起き上がろうとした時、俺はいつもと違う身体の異変に気付いた。
左手に感じる人の温もり。
それは今見たばかりの夢の中での温もりより生々しく現実的な、懐かしい温もりだった。

ぎくり。と、背中に冷たいものが走る。

「………」

そういえばここはいつもの薄暗い六畳一間の自分の部屋では無いようだ。
仰向けで寝ている自分の視界に映った天井は自分の部屋のそれとは比べ物にならない位白く、清潔感にあふれていた。
一体自分はどうしたのだろう。
慌てて飛び上がると自分のベッドの脇にはすっかり見慣れてしまった人物の寝顔があった。

「……ち…とせ…?」

俺の左手を両手でしっかりと握ったまま無防備に眠るその姿に、なぜ俺と千歳がここにいるのかと思ったが、そういえば部活の途中からの記憶が全く無い。
ひょっとして。
ひょっとしなくても。

「気ぃ失ってたんか…俺…」

寝不足で気を失うだなんて笑い話も良い所だ。
時計を見ると時刻はすでに8時を回っていた。
窓の外もすっかり暗く、おそらく他の部員達もとうの昔に帰宅しているだろう。
明日みんなに会ったら何を言われる事やら。
特に白石。
…その前に千歳、か。

「千歳、起きろや」

パチパチと、気持ち良さそうに寝入っている千歳の頬を右手で軽く叩く。

「ん…あと5分…」

熟睡しているのか寝ぼけた事を言いながらも全く起きる気配の無い千歳の背中を今度は揺すってみる。

「あと5分寝るのはええけど寝るなら家で寝ぇや」
「んー………」
「起きたか?」

ぱちりと開いた千歳と目が合う。

「オサムちゃん!!!!」

ガバっと立ち上がると本当についさっきまで熟睡していたとは思えない様な反応の速さで千歳は俺に抱きついてきた。

「身体は大丈夫とね?!」

心配そうに俺の顔を覗き込んでくる千歳の顔は今にも泣き出しそうだった。

「あーうん、なんや、心配かけてしもうたな…ごめんな」

千歳は首を横に振った後、よかった、そう一言だけ言った。

「千歳…ずっと横おってくれたんや?」
「うん……俺もいつの間にか寝てしもうたけど…オサムちゃんが倒れてびっくりしたと、みんな心配しとっとよ?」

ただの寝不足だというのに生徒をこんな遅い時間までつき合わせてしまって、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
倒れた原因が寝不足だなんて聞いたら心優しいこの生徒もさすがに呆れた顔をするだろうか。

「ちょっとな、ここの所寝不足気味やってん…こんなアホな教師に心配してつき合わせてしもて悪かったなぁ…ほんまゴメン」
「寝不足……?」
「うん…」
「本当にそれだけ?」
「うん…ごめん」
「よかった…」
「うん…よかった…は?」

てっきり呆れた顔をされるかと思っていたのに目の前の生徒は呆れる所か安心した笑みを浮かべた。

「寝不足だったらオサムちゃん眠って少しは体調良くなったとね?」
「あー…うん、せやな」
「もう起きても大丈夫と?」
「ああ、もう大丈夫や、てか千歳もう8時まわっとんのやで?はよ帰らなあかん」
「うん……」

ほな、帰ろうか。
そう言おうとしたその時。

ピリリリリ…。

静かな室内に無機質な電子音が響く。
それは俺の携帯のメール着信音。
ちょっとごめんな、千歳にそう一言断りをいれてポケットから携帯を取り出してメール画面を開く。


部室


登録されていないアドレスから送られてきたメールにはその2文字だけが記されてあった。
誰からだ、なんて聞くまでも無い。
紛れも無くあいつ等からの、場所を指定しただけのごく単純なメール。
いつもあいつ等からの呼び出しは行為を行う場所が簡潔に記されているだけで、時間の指定すら無い。
こっちの都合なんかはお構い無しで。
俺はそれに逆らう術は無かった。

メールが届いてその指定された場所に行くと予想通りの顔ぶれが俺を待っている。
たまに居ない事もあったが俺はその場で1時間だろうと2時間だろうと待たなくてはならなかった。
暫く待ってやってきたあいつ等は嫌な顔で笑いながら、俺らに突っ込まれたくてずっと待ってたのか、やっぱり先生はスキモノやな。と、そう言った。


「……オサムちゃん?」

携帯の画面を見て思わず硬直してしまった俺を不審に思ったのだろう、千歳は心配そうに俺の顔を覗き込んできた。

「あ、や…なんでもない、ほな帰ろうか」

俺は携帯をポケットに突っ込むと千歳に帰ろう、と促し、廊下へと続く保健室の扉の方へ向かった。
千歳はうん、と頷くもののその場から動こうとしない。
きっと今届いたメールが何なのか、事情を良く知る千歳は感づいたのだろう。

「千歳…?」
「1人で帰れるばい」
「……?」
「オサムちゃん…用が入ったとね?」
「…………」
「先に…帰ったい」
「千歳………」
「………ごめん」

もの凄く傷ついたような顔をした生徒は一言だけ謝罪の言葉を残して部屋から出て行った。

「何でお前が謝んねん…」

お前がそんな傷ついた顔をする必要は無いのに。
お前が謝る必要は無いのに。

むしろ謝るのは不快な思いをお前にさせとる俺の方なのに。


「ごめんなぁ…千歳…」


誰も居なくなった保健室で1人。
俺はここにはもう居ない生徒の顔を思い浮かべてその場にしゃがみこんだ。











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