幸福の欠片.11
SIDE:千歳千里 2008.由梨ゆかり
「はよ、帰り」
納得のいかなかった台詞が何度も何度も頭の中で再生される。
辛そうな顔しとったクセに。
泣き出しそうな顔しとったクセに。
何故あの時追い返されるのはあいつらじゃなく俺だったのか。
どんなに考えてもその答えはわからなかった。
俺の心とは対象的に、今日の空は雲ひとつ無い快晴で、まだそんなにきつくもない春の日差しが心地よい。
学校に来てはみたものの、こんな天気のいい日にこんな気分でつまらない授業を受ける気持ちにもなれず、俺は1限目からサボりを決め込むと屋上に上がり、何をするでもなく寝転がって青空を眺めていた。
この学校に来てから。
何もかもが非現実的なものの様に思える。
教師に手を出すというあの三人組の異常な行動も、出されてそれを拒まない先生の行動も自分には理解が出来ない。
こんなにも自分の心の中を掻き乱しているあの教師は今頃平然と、何事も無かったかのように振舞ってどこかのクラスの教壇に立っているのだろうか。
聞こえてきた始業開始のチャイムの音すら自分には関係ない、どこか遠い世界の様に感じた。
「転校早々何サボってんねん」
寝転んだ俺の上に不意に落とされた影。
瞳を開くとそこにはこちらを覗き込んでくるオサムちゃんの少し心配そうな顔があった。
いつの間にか寝てしまっていたようで、陽はすっかり高く上っている。
「オサム…ちゃん…?」
「もうすぐ昼や、千歳君が今日来とらへんってお前のクラス、ちょっとした騒ぎになっとったで」
「………」
「ちゃんと午後からは授業出えや」
淡々と教師らしい事だけを述べるオサムちゃんの言葉に、俺は起き上がり素直に頷いた。
聞きたい事は沢山あった。
だけど本人を目の前にしてそれをどう言葉にして聞いていいのかも解らず、オサムちゃんが隣に腰を下ろし、煙草に火をつけるその一連の流れをただ黙って見ている事しか出来なかった。
「……昨日は、その…カンニンな」
「………」
「心配してくれてたのに、あんな態度とってしもうて…」
「もうよか」
申し訳なさそうに言う、オサムちゃんの姿が見ていられなくて俺は謝罪の言葉を遮った。
「………」
「誰にも言わんたい、昨日の事も」
「………何も聞かへんねんな、千歳は」
「………」
まるで遠まわしに聞いて欲しいという様な意外なオサムちゃんの一言に俺は思わず息をのみ、一呼吸おいて聞いてもいいのかと、そう問いかけた。
「うん…というか、千歳には俺が聞いとって欲しいと思うてんねん、今更お前に隠す必要無いやろうしな」
まぁ、先生のつまらん愚痴や、聞き流してくれてもええ。
そう言ってオサムちゃんは上着の内ポケットから1枚の写真を取り出した。
それはオサムちゃんが友達と一緒に幸せそうに笑ってる写真。
ああ、やっぱり俺はこのオサムちゃんの笑顔が好きだ。
そんな事を思いながら自然と写真のオサムちゃんの笑顔につられて自分の顔も緩む。
「何ニヤけとんねん…」
「……オサムちゃんの笑顔につられたと」
思わず緩んだ顔をしっかりと見られてしまい、それを突っ込まれて赤面してしまったが、正直に言うと呆れた様な顔をして、それでも優しくオサムちゃんは微笑んでくれた。
それは写真に写った笑顔よりもずっと柔らかくて綺麗な笑顔だった。
「それが原因やねん」
「……?」
「俺があいつらを拒めへん理由」
「この写真の何が原因とね?」
オサムちゃんの言っている理由がいまいちピンと来ず、訊ねるとオサムちゃんは苦笑いをしながら教えてくれた。
「写真の背景、よう見てみ。撮られた場所が問題やねん」
オサムちゃんに言われたとおりもう一度その写真に視線を落とす。
そこに写っているのは紛れも無いホテル街の一部だった。
「ホテルから出てきた所を撮られた、そういう事や」
「…………オサムちゃん、結婚しとるとね?」
「いや、してへんけど…」
「なら何で困るとね?」
自分にはまだ縁が無い所にせよ、知識としてはある程度聞いたことがあるその場所。
中学生である自分が入ったものならいろいろ問題はあるだろうが、大人で、更に独身であるオサムちゃんがホテルに入った所で大した問題になるとも思えなかった。
「俺な、同性愛者やねん」
「どうせいあい…?」
「つまりやな、男しか好きになれへんねん、男とホテルから出てきた写真なんておかしいやろ」
たまたまホテルから出てきた所を生徒に目撃され携帯で写真を撮られたらしく次の日学校に行ったら生徒に呼ばれて見せられたのがご丁寧にプリントアウトされたこの写真。
男同士でどうやるんや?
そう生徒達に言われ、そこから今の関係が始まったらしい。
そこまで聞いて、俺の中でどうしても繋がることの無かった点と点が線で結ばれた気がした。
つまり、この写真をバラまかれるのが恐くてオサムちゃんはあいつらに何も逆らえずに居るという事。
おそらく、この写真をみて、先程オサムちゃんが説明してくれた内容が周囲に広まればきっとオサムちゃんは教員としてここには居られなくなるのだろう。
「ホンマ、どこで誰に盗撮されるか解らん時代やな、携帯にカメラを最初に付けよ言い出したヤツ恨むで…」
そう冗談交じりに笑いながら言うオサムちゃんの笑顔はすごく辛そうで、俺はオサムちゃんの笑顔が好きだとそう思ったけれどこんな笑顔は見たくは無かった。
「オサムちゃん、無理して笑わんでもよかとね…」
「……うん」
「…話してくれてありがとう」
オサムちゃんが本当の事を話してくれて嬉しかった。
だからそう素直にお礼を言ったら不思議そうな顔をして顔を覗き込まれた。
「軽蔑とか…せんのか?」
「うん」
「そっか…千歳相手やったらなんでやろ、受け入れてもらえる気がしたんやけど…思い切って話してみてよかったわ」
聞いてくれてありがとう、そう言って再度笑ったオサムちゃんの笑顔は俺の好きなそれに変わっていた。
「あ、せや、こんな事話したからって別にお前に助けて欲しいとか何とかして欲しいとか思っとるんとちゃうで、話聞いてくれただけで充分やから…昨日みたいな暴力振るおうとか、せんといてな」
「大丈夫たい」
「ええ返事やな、子供は素直が一番や」
オサムちゃんはそう言ってわしゃわしゃと俺の頭を撫でた。
頭を撫でる手から伸びた腕は俺より大人であるはずなのに痩せて頼りなく見えて、俺は本当は子ども扱いなんてして欲しくないと、そう思ったけれどその場は聞き分けのいい子供を演じるしかなかった。
守りたい。
抱きしめたい。
この心の中に芽生えた感情。
オサムちゃんが好き。
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